プロフィール 株式会社Misoca 共同創業者/ミッドランドインキュベーターズ 共同代表

2011年6月、株式会社Misoca(旧スタンドファーム株式会社)を設立。Web上で簡単に請求書を作成し、郵送まで出来るクラウド型の請求書発行・管理サービス「Misoca」を開始。
2016年2月、業務ソフトウェア「弥生シリーズ」を提供する弥生株式会社に会社を売却し、2018年11月に退任。
現在は名古屋のスタートアップ支援コミュニティ「ミッドランドインキュベーターズ」の共同代表として、U29を中心とした若手スタートアップの支援を行っている。

生い立ち

幼い頃からもの作りに熱中、高専時代に初めてプログラミングに触れる

ーまずは、どのような幼少期を過ごしていたか教えていただけますか?

昔から組織が苦手でした。 幼稚園児の頃から、友達と遊ぶのも苦手だったので登園拒否をしていたそうです。いまだに母親に言われるのですが、登園の時間になったら服を脱ぎ捨てたり、カバンを脱げ捨てたりと抵抗しながら、行きたくないと母親に駄々こねていました。とはいえ無理やり行かされていたので結局は行っていましたが(笑)。

小学生になって以降は父や祖父の影響で、ずっともの作りに熱中していましたね。私は岐阜出身で祖父の家の近くに住んでいて、よく祖父と遊んでいたのですが、遊び道具をよく手作りしていたんです。

釣りに行くぞ、といえば竹を取ってきて針と糸を付けて釣竿を作るし、水鉄砲をしようと思ったら水鉄砲を竹から作っていました。父は父で自分の工房みたいなのを借りて自作のカヌーを作っていたり。幼い頃から「もの作り」は身近な存在でした。「店で売っているものって、自分で作れるんだ」みたいな感覚はずっとありました。

中学を卒業したら、普通科の高校ではなく、高専に進学しました。小・中でも引き続き学校に馴染めなかったので、普通科の高校に進んだところで同じ繰り返しだろうと思い、工業なり商業なり、なんでもいいので他の人とはちょっと違うことをやろうと思ったからです。「高専ロボコン」を見て、僕もロボットを作ってこれに出てみたいという思いもありました。

高専に進学したのは非常に良い選択だと思っていて、将来に活きる良い影響を与えてくれたと思います。 中学まではそれほど勉強しなくても成績はそこそこだったのですが、高専に入ってからは青天井に頭の良い人がいたり、留学生なんかは僕よりもよっぽど日本語の語彙力があったりと、頭の良さで勝負することは早々に諦められたからです。しかしそこからプログラミングを勉強し始め、高専ロボコンではマイコンの制御を担当してチームで全国準優勝できました。この経験でプログラミングの基礎が築かれました。

高専卒業からMisocaの立ち上げまで

ウェブサービス開発ブームに乗じて、複数のサービス立ち上げに挑戦

2004年に高専を卒業してから、2011年にMisoca立ち上げるまでの7年間は、ずっと個人事業主として活動してきました。具体的にはweb制作とか、後ろ側のシステムも絡めた開発とか、当時はecサイトが流行っていたのでショッピングカートのシステムや在庫管理システムの開発などです。

またそれと並行して、自分でサービスづくりもしていました。
当時、VPSを安く使えるようになった影響で個人ウェブサービス開発ブームみたいなものが起こり、個人でも何個かのサービスを作ってみました。初期の頃はTwitterのAPIを使った何かとか、mixiアプリを作ってみるとか、特定の情報を集めたポータルサイトを作ってみるとかですね。最初こそはどれも失敗していましたが、やっているうちにポツポツと数十万、数百万で売却できるようになり、これは個人でやるよりも会社でやる方が大きな挑戦ができて面白そうだと思いました。

うまくいった例でいうと、「IPPAKU 3000」という楽天のAPIを使ったサービスですかね。当時妻が楽天ポイントを貯めてたのが羨ましかったので、自分はプログラマーらしくポイントを集めようと思って始めました。コンセプトは「1泊3000円以下のサイトだけを集めたサイト」という感じで、これがバックパッカーや学生の人たちに刺さってかなりのアクセスを集めました。個人的な人生のKPIとしている「はてブ」数でいうと、1,800くらいですね 。これはパッと売却することができました。

自分自身が情熱を傾けられるテーマのサービス作りをすべきと学ぶ

ーそういった経験の中で、のちの起業に活きている部分はありますか?

かれこれ10個以上のサービスを開発してきましたが、失敗と成功を両方体験することで、どういうサービスだと自分が情熱を持って続けられるのかというのがはっきりしました。

失敗した例でいうと、おしゃれなカフェを集めたサイトがあります。食べログで名古屋周辺のおしゃれなカフェを探しても「コメダ珈琲」ばかり出るのが不満で。もちろんいいカフェなのは間違いないけど、デートで行きたいようなカフェはちょっと違うじゃん、と。

だからそういうおしゃれなカフェを集めたサイトを作っていたのですが、そういうあまり大したことない動機でやっていると、一旦完成しちゃうとそれっきりなんです。デートに使えるおしゃれなカフェが見つかり、それを暗記して、もうそのサイトは自分にとって必要なくなってしまうんです。だからそれ以降の改善や開発をするモチベーションがなくなってしまいます。

もう一つ、当時「衣食住」のうちの「衣」をカバーする現在のIQONみたいなサービスがなく「ブルーオーシャンじゃん!」といって作っていたこともあります。しかし、そもそも僕自身が毎日Misoca Tシャツを来ているというくらい服に無頓着で、ユーザーの気持ちが全くわかりませんでした。むしろ「おしゃれは敵である」とまで思ってしまう性格なので、システムは作れたもののその先何をしたらいいかわからず、苦しい時期を乗り越えられませんでした。

一方でうまくいった例でいうと、運動を記録するアプリの開発とかですね。僕はジョギングとかマラソンとかが趣味で、それを記録できたらなと思っていたので、僕自身がユーザーでした。そうするとユーザーの気持ちがわかるし、これは世の中に必要だという想いがモチベーションになり、続けることができました。

チームで開発するのであれば、必ず自分自身が情熱を傾け続けられるテーマでやりたいという軸を得られました。

名古屋でスタートアップを立ち上げるということ

ー名古屋出身のスタートアップの成功例みたいなのはまだ少ないように感じますが、その中でMisocaが成功例の1つになれた要因は何でしょうか?

エンジニアを大切にする会社したことで、優秀なエンジニアを集められたのが大きかったですね。僕は2009年頃から、スタンドファーム(Misocaの開発会社)を共同創業した松本とエンジニアを集めて勉強会を開催していました。名古屋ではかなり大きな方で、100人くらい規模のコミュニティでした。そこで感じたのは、基本的にみんな僕よりもエンジニアリングのスキルは優秀なのに、みんな今働いている会社に不満を持っているということ。 社内SEみたいな感じで面白い仕事ができないとか、最新のツールや技術を使えないとか、そういう不満や悩みを抱えている人がたくさんいました。

だから僕が創業する会社はエンジニアが大事にされるような文化を作ろうと思っていましたし、それに共感してくれて優秀な人を集められたんだと思います。

ーとはいえやはり東京との地域差を感じることはありましたか?

やるまでは気づきませんでしたけど、優秀な人材を集めようとすると、東京と名古屋では人口の差以上の難易度がありましたね。僕は岐阜から都会に出ようと思って名古屋に来ましたが、東京は人口比で名古屋の10倍くらいです。じゃあ人材を獲得する難易度は10倍の差があるのかというともっと大きくて、それはなぜかというと人材の偏りがあるからです。
例えば、出版社とかテレビのキー局はほとんど東京にあるので、ライターとか編集者はほとんど東京にいるんです。だからそこに限っていえば比率は10倍どころではありません。名古屋は自動車産業が盛んなのでエンジニアを集めることはある程度できますが、それ以外の職種を探すとなると、人材は商業の首都である東京に極端に集まってしまうため、名古屋で見つけるのは本当に難しいんです。

飛び抜けた人材を探すとなると、さらに大変です。

弥生のグループ入りへ

ーその後は弥生のグループ入りをすることになりましたが、なぜその決断にいたったのでしょうか?

もちろん、単独で事業を継続する選択肢もありました。しかし当時は弥生も同じような請求サービスを考えていたということもあり、このまま単独で勝負するよりも、Misocaの事業自体が継続して成長していくほうが良いのでは、ということでグループ入りして一緒に取り組むことになりました。

ーここにいるメンバー(Fablic創業メンバー)も経験したことですが、M&A後のPMIとか、グループのなかでチーム内のピースとしてはまって事業を継続して伸ばしていくのってなかなか難しいと思います。実際先月退任されるまでやりきってみて、いかがでしたか?

まずとても良かったと思うのは、弥生自体が複数回の被買収を経験していたということです。だから在籍歴がある人だと「また買収か」ぐらい慣れているそうです。だからこそ、「買収される側の気持ち」を理解してくれる人が多かったんです。絶対に「買収」という言葉を使わないし、「子会社」という言葉も正式な文書でどうしても必要な時以外は使わず、必ず「グループ会社」という言葉を使います。 そんな気遣いのある会社だったので、そういう点ではスムーズにいったと思います。

ただ、「開発手法・開発文化の違い」は難しかったですね。双方がとても友好的に、お互いの良いところを活かしてやっていこうという方針でしたが、だからこそ「お互いが良いと思ったこと」が違うときは、ぶつかってしまったんです。 具体的にいうと、弥生側は割とウォーターフォール型、僕たちはアジャイル型の開発手法を採用していて、要所要所でぶつかってしまっていました。しかし、この違いって「いいとこ取り」はできないんですよね。美味しいワインと美味しいビールを混ぜたら飲めなくなるみたいな感じで。
お互いが善意で「私たちはこれでうまくやってきた」と主張するので、その辺りがとても難しかったです。

また、開発手法だけじゃなく、「見積もり」「納品」などの単語や「終わりました」の一言をとってもお互いの基準が全然違うので話がズレてしまうことが多々ありました。

最初はそういう手法や文化の違いに関しては、善意で遠慮しながらやっていましたが、やはりがっつり一つのチームになってやっていこうという話になりました。ミーティングの回数を増やしたり、私たちの拠点の名古屋まできていただく回数を増やしたり、プロジェクトの管理ツールを弥生が見えるようにしたり。僕たちの方も未熟な部分は反省し、進捗状況を表現する書式を導入して改善したり。そうするうちに共通の言語ができ始めて、「こう言ったつもりが、こう伝わっていたのか」みたいなのがわかり始めて、うまくいくようになりました。

文化のいいとこ取りはできないと学びました。「良いところを取り合っていきましょう」みたいにごまかすのではなく、「ここは譲る」「ここは譲らない」みたいなのを出来るだけはっきりさせるのがいいですね。

名古屋で次の代の起業を支援する活動

「共同創業者やフルコミしている人がいること」が投資の条件

ーエンジェル投資をされているモチベーション、そして投資基準などを教えてください。

関わる会社が増えると僕自身も勉強になるし、自分自身の経験が増えるので楽しい、というのが一つです。もう一つは、特に岐阜や名古屋にゆかりのある人やスタートアップを応援したい、というのもありますね。

基準ですが、「会う」レベルでいうと基本的によっぽど変じゃなければ会うようにしています。紹介であれば会うし、紹介じゃなければいくつか質問させていただいて、まずはオンラインで話してみましょうか、みたいな感じです。

「投資する」レベルでいうといくつか条件として決めていて、

  • IT系であること
  • 共同創業者なり、フルコミットしている人がいること
  • 出来るだけ若い人(30歳以下)

ですね。

ー共同創業者やフルコミしている人がいるのを基準としているのは、なぜでしょうか?

その人が人を説得できるかどうか、やり切れる人かどうかを見極めるためです。僕は創業者の1番大事な仕事は「人を説得する」ことだと思っています。今後、創業者が人を集めてチームを大きくしていく上で、そのスキルなしにはやっていけないはずです。

今の時点で「少なくとも1人は説得した(共同創業者やフルコミする人がいる)」という経験があるかどうかは、その人のやりきる力が判断できると思います。

名古屋でスタートアップを「近く」する、ミッドランド・インキュベーターズ

ー「若手を支援する」という活動の一環として、ミッドランド・インキュベーターズを運営されていますが、その概要とモチベーションを教えてください。

ミッドランド・インキュベーターズ(Midland Incubators)は名古屋エリアにベンチャーのコミュニティを作るための任意団体で、名古屋駅付近でスタートアップ関連の人が自由に使えるようなコワーキングスペースを運営しています。

モチベーションは、エンジェル投資をする理由と通ずるところもありますが、1番大きいのは僕自身が名古屋でスタートアップをやる上で感じた「情報格差」を出来るだけ小さくしたいという思いです。

例えば僕は起業する前からTechCrunchは読んでいましたが、そこで「〇〇が資金調達しました」みたいなニュースを見ても、「それは東京のものすごく頭のいい人たちがすごいエンジニアを雇って調達したんだろうな…」みたいに遠い世界として捉えていました。

しかし、東京に足を運ぶようになって実際にそういう現場に行ってみると、意外と「僕でもいけるかも」と思うようになったんです。そして次第にピッチコンテストに呼ばれて出場するようになって、VCなどとも会うようになると「こうして資金調達は進むのか」と実感できました。会社設立や資金調達に関しては、本やネットで手に入る情報もあるのですが、実際どうすればいいか自信がもてないという問題があり、これも情報格差だなと思っています。

都内の大学に通っていると、同級生が起業していたり、同じ学部の先輩が上場企業の社長だったりと、そういう生の情報に困ることはあまりないと思います。そういうのが名古屋にもあればいいな、と思ってスタートアップに関連のある人たちが集う場所を作りました。
「Misocaを売却した豊吉という人はすごいと思っていたが、実際会ってみると意外と普通だ。自分にもできるかもしれない」と自信を持ってくれるような若手を増やしていきたいです(笑)。

「自分にもできる」という感覚は結構大事だと思っていて、僕も起業したキッカケは、ある上場企業の社長と一緒に仕事をした経験でした。個人事業主をしている時に、上場を控える会社の手伝いをしたのですが、その社長と付き合っていくうちに、「上場する会社の社長といっても、遠すぎる存在ではない」という実感を得ました。なんならプログラミングにおいては僕の方ができるぞ、みたいな(笑)。 これで自信がついて起業に踏み切れた、というのもあります。

だから名古屋でも、成功していく人が身近に感じられるような場所をミッドランド・インキュベーターズで実現したいです。

長期的な展望

名古屋のスタートアップのエコシステムを作りたい

このような活動の今後の展望としては、スタートアップのエコシステムを名古屋で作りたい、というのがあります。僕はMisocaの時にIncubate Fund (IF)から投資を受けたのですが、そこで感じたのは「先輩起業家やVCが、新しい人を引っ張り上げていく仕組みがちゃんとある」 ということです。IFから他の投資家を紹介してもらい、そこからSansan社長の寺田さんやサイボウズ社長の青野さんにいきなり会わせていただけたし、そこからまた他の社長を紹介していただいて一気にネットワークが広がりました。

まだ何もない自分にそのような機会が巡ってきたのは、エコシステムに入ったことによって僕にある意味の信用がついたからだと思っています。そして、何もない僕を気にかけてくれた人たちは、彼ら自身が同じようにまだ何もない時に気をかけてもらった経験があるはずです。そのようなスタートアップのエコシステムを名古屋で作っていきたいし、僕自身はちょっとこの人やばいかも、と思っても率先して会ったり紹介したりしています。

とはいえプレイヤーとしても、より大きく大胆なチャレンジを!

こんな感じで「名古屋のスタートアップエコシステムを作る」みたいないわゆる「支援側」を1年ちょっとやってきて、やはり自分もプレイヤーとしてまだまだやっていきたいなという思いも強くなりました。まだ社員が1人や2人のスタートアップ創業者と話していても、彼は人生をかけてやっていてカッコいいと思い、逆に今の自分はあまりリスクをおっていない状態だなとも思ってしまいます。

Misocaの起業では「スタートアップをやりたい」「たくさんの人が使うようなサービスを開発したい」「資金調達したい」みたいな感じでしたが、それはもう経験できたので、それを土台にもっと大胆な目標を立てて、大失敗できるようなチャレンジをしていきたいです。

Misocaのミッションは「世の中を仕組みでシンプルにする」でしたが、これは私個人のミッションでもあります。世の中の無駄を省いたり、複雑なものをシンプルにするものを作りたいですね!

起業家に向けてのメッセージ