起業とは程遠い、大湯氏の生い立ち

高校では好きなものを追求し、大学では様々なプログラムに飛び込む

ー大湯さんの生い立ちはどんな感じだったのですか?

両親どちらも起業家ではなく、起業とは程遠い生い立ちでした。ただ変わってたのは、小学校に入る前の物心がついたときから公文式に通っていたということですね。

有り難いことに教育環境には前向き両親だったので、物心ついた頃から公文式に通っていて、「線を引く」みたいな授業をやっていたのを覚えています。

かなり早くから勉強を始めていたので、学校では1~2年くらい先の勉強に取り組めていました。公文式で新しいことを学び、学校では周りの友達に教えて、感謝されるというサイクルが早いうちから定着していて、それがとても楽しかったんです。

その辺りから「向上心」が育まれていると思うので、両親にはすごく感謝しています。

高校は慶應の志木高に通っていました。めっちゃ自由な学校で、基本的にはよっぽどのことがない限り卒業・進学ができます。ずっと将棋やってる人もいたし、みんな自分の興味をひたすら追求するような学校でした。私服で通えたし、髪型も奇抜な感じだったのですが、根が真面目で、公文式で培った「勉強が楽しい」という感覚のおかげで勉強は真面目にやっていました。

僕自身は化学が好きだったので、他科目の授業中も化学レポートを書くのに費やし、毎週30ページくらいのレポートを書いたりしていましたね。みんなが好きなことに時間を割けるような学校でした。

大学は慶應義塾大学に進学し、「自分の人生を左右しそうだがまだ全然知らない」ということで法律学部を選びました。
入ったからにはちゃんとやろうと思って、結構法律の勉強をしていましたが、1年くらい勉強したタイミングで、司法試験の仕組みが変わってしまったんです。その結果、司法試験に合格するということに全く魅力を感じなくなってしまい、別の道を行くことにしました。

そこから就活開始までの2年間は国際系のプログラムにたくさん参加していました。日中交流事業のメンバーとして中国の上海、北京、武漢に派遣されたり、日ロシア学生交流事業の日本人メンバーとしてロシアの大学生とディスカッションしたり、G8会議の学生版みたいなプログラムに日本の外務大臣役として参加したり。

あとは、OVALという日・中・韓の学生が各国1人ずつの3人チームに分かれてそれぞれの国を訪問しながらビジネスプランを作るというビジネスコンテストがあるのですが、それには大学4年間で2回も参加していました。

根底にある「為せば成る」という想い

ーなぜそれほど色んなところに飛び込めたんですか?

好奇心が強いというのと、為せば成るといった感覚があったからですね。
ああいうプログラムに参加してくる海外の学生って日本人と違って大学院生が多くて、「その領域に詳しい」「英語ができる」「ディスカッションが上手」みたいな感じで、三重苦みたいな感じでした。実際にディスカッションしても、ボコボコになって帰ってきましたし。

ただ、そういうところで未知なことを知れて、新らしい優秀な人に出会える好奇心の方が強かったので、あまり物怖じしなかったんです。

また、小さい頃から「間違う→直す→褒められる」みたいな勉強のサイクルを理解し、それが好きだったので、「頑張れば報われる。為せば成る」みたいな感覚がありました。
その2つの掛け算のような気がしますね。

学外のプログラムに一通り参加し終えた3年生くらいのタイミングで就活をはじめ、優秀な人が集まりそうという理由で外銀・外コンなどを受けて、某外資コンサルファームから内定をいただきました。

宗教とビジネスを学びに、就職を半年送らせて留学

ーでも内定をもらった後に留学しています。きっかけと、留学中の活動はどのような感じだったのですか?

「異文化における宗教とビジネス」みたいなのを学ぶために1年間くらい留学することにしました。
内定をもらったのが外資系だったのですが、実際に入社したら海外の人と関わるのは当たり前だし、異文化の企業のマネジメントクラスにプレゼンして意思決定をしてもらうような業務を想像していました。

意思決定に貢献するファクターには「ロジック」と「エモーション」があると思って、そのうちの「エモーション」、特に異文化の人々が持つエモーションを自分が全然理解していないと思ったんです。
そんな流れで「エモーションと意思決定」に興味を持つようになり、異文化のエモーションに大きく貢献してそうな「宗教」を学ぼうと思ったんです。

ただ、日本で宗教を学ぶのはかなり難しそうじゃないですか。宗教って日本では縁遠い感じがするし、忌避感すらありますよね。一度入社してしまったら、早くても次のチャンスは数年後にしか来ないと思い、半年入社をずらしてほしいと内定先に頭を下げ、留学に踏み切りました。

また、せっかく行くのだからビジネスも勉強したいと思っていたので、留学先の大学で「アントレプレナーシップ」みたいなコースをとりました。そこでは日本でのビジネスコンテストよりも少し進んだことができて、登記するまでは行かないまでも、実際にビジネスしてみましょうみたいな。
ただやっぱり難しくて、実際にビジネスを実行するまでには行かなかったのですが、今でいうカーシェアリングのビジネスモデルを考えて、周りとディスカッションしたりしていましたね。

また留学の後半には「実際に企業で働く」というインターンプログラムがあったので、政府系の投資ファンドでインターンもしてみました。
留学前に日本の外資系でも少しだけ働いていたのですが、アメリカでは5時をすぎると「なんてこった!」といってあっという間に帰っていくのが印象的で、カルチャーショックでした(笑)。

内定先を辞退し、起業

「留学での学び」と「共同創業者との出会い」が起業へのきっかけ

ー結局内定を辞退して起業されていますね。海外での経験が大きかったのでしょうか?

それほど劇的なものではなかったのですが、留学を通して「自由でいいんだ」という感覚になったのは大きかったです。振り返ってみると自分は、慶應に入ってエスカレーター式に良い感じの学部に入り、良い成績を取って外資系に内定、みたいないわゆる「敷かれたレールの上をちゃんと行く人生」だったんです。

ただ、留学をするという意思決定によって必然的に卒業が半年遅れることになり、中学3年・高校3年・大学4年というレールを初めて逸脱した気がしました。内定先もそれを受け入れてくれるかどうかわからないにも関わらず、です。

人生で初めてレールを外れましたが、いざ海外に住んでみると、みんなTシャツ短パンで働いているし、常識みたいなものにとらわれていなくて自由だったんですよね。宗教の勉強をしていた関係で週末ミサに行ったり礼拝に行ったりしたのですが、そこでも「人は自由だ」というのを気づかされました。

留学が直接起業に結びついたわけではありませんが、「自分で自由に決めて良いんだな」というのに気づいたのはかなり大きかったです。

直接的な要因でいうと、やっぱり共同創業者の島田との出会いが大きいですね。
ちょうど留学しているときに東日本大震災があったので実家に一時帰国したのですが、時間が余ったので、昔からの地元の幼馴染に「面白い人紹介してよ」と頼んで出会ったのが最初です。

海外インターンの話とか、僕が海外で挑戦したビジネスについてディスカッションしたりしているうちに、「彼となら面白いことができそう」と思ったんです。
僕は就職が近くなっていて、もし就職してしまったら3年くらいは真面目に働いてしまいそうなので、今やったほうが得だと思い、リスクは最小だと思って起業しましたね。

起業したと言っても、僕自身は「起業」と意識したわけではなく、何か面白いモノを作るプロジェクトを始めた、という感じでした。実際登記も半年後ですし、その登記もMOVIDAのプログラムに採択されて投資を受ける箱を作らなければ、ということで作った感じでした。

素晴らしい共同創業者を見つけるコツ

ー島田さんとはあまり仲を深める前に共同創業者として起業しています。よく言われる「失敗パターン」だと思うのですが、不安はありませんでしたか?

島田とは2回くらいしか会っていない状態で起業を決めています。確かに一般的にはアンチパターンですよね(笑)。

1つあるのは、役割分担がすごく明確だったことです。島田はエンジニアリング全般で、僕はエンジニアリング以外の全て、みたいな。責任がほとんど重複していないCEOとCTOという距離感で始められたのがとてもよかったです。

あとは、「リファレンスがあった」というのもかなり大きいです。何も共通項がない状態で会ったわけではなく、「小学4年生から仲良くしていた幼馴染がすごく信頼している友達」という感じでした。だから頭の中の根底のプロトコルは合っていたし、気が合う必然性はありましたね。僕も島田も根がなんとなく真面目で積み上げ上昇志向、そして好奇心旺盛で怖いものに挑戦したい、みたいな。

そもそも、スキルセットとかではなく、普通にめっちゃ良い人なんですよ。曲がったことが大嫌いで、絶対に裏切らないだろうなという性格が初めから印象的でした。

僕と島田は「共同創業者」というよりは「プロジェクトパートナー」みたいな立ち位置でスタートしましたし、あまり共同創業者を選ぶぞというテンションで相手を選ばない方が良いと思います。

こういうのって採用と同じで5人採用して5人が完璧に成功するみたいなことってなくて、1/1で当てにいっても成功しないので、結局PDCAじゃないですか。でもなぜか共同創業者には1/1を求めがちで。そうじゃなく、肩肘張らずに一緒にやってみて、うまくいけば共同創業者としてやれば良いと思っています。僕らの場合は偶然、1/1が当たってしまったというだけで運が良かったなと思っています(笑)。

「インターネットは文化を育む装置」大湯氏のネット原体験

ー最初のプロジェクトはクリエイター向けのプラットフォーム「Creatty」ですが、やはり「インターネット」は最初から興味領域として考えていたのですか?

いち消費者としてインターネットがとても好きだったというのはありました。
高校が自由だったので、みんなが自分の興味を追求することができていて、さらに男子校というのもあって女性の目がないので、男たちが「好きなものは好きだ!!」と言える環境だったんですね。
それまではサブカルとか興味なかったのですが、そんな高校の環境にいて、マンガ面白い!みたいに、どんどん多様なカルチャーに興味を持つようになりました。

さらに時期的にインターネットのサブカルが隆興してくるタイミングで、当時ニコニコがめちゃくちゃ盛り上がってたんです。YouTubeの動画を拝借しながら文字が乗っかるの面白いみたいな、そのくらいの時代で。

インターネットのコラボレーションって面白いというのが僕のインターネット原体験ですね。

また、高校卒業くらいにネットの掲示板で出会った人たちとバンドを組んだこともありました。掲示板で「バンド組みたいです!当方ギター希望ですが歴0年です!」みたいに呼びかけたらなぜか人が集まってきて。そんな風に、インターネットで人に出会うみたいなのに抵抗がありませんでした。むしろ、そんな感じでインターネットで文化が形成されるみたいなのがとても好きでしたね。

ニコニコ動画で初音ミクの立ち上がりを見るのなんて僕にとってめっちゃエキサイティングでしたし、インターネットは文化を育む装置なんだな、という感覚が強いです。
その感覚は今の僕を形成する大きなものだと思います。

ーCreattyはどういう経緯で立ち上げて、クローズしたのですか?

Creattyは、デザインをしている人たち・モノを作っている人たちの能力をインターネットで可視化したかったという思いから作りました。もともと周りに美大の友達が多くて、面白いものを作っているのにあまり評価されていないという課題を感じていて。その人たちがもっと気軽に評価されたり、実際に自分が作ったものを売ることができれば良いなと思っていました。

ビジネス的には、デザインのライセンスを受けてそのライセンスを工場に持っていきケースやTシャツにして物販、みたいなことをしていて、「ものを作る人たちの能力をもっと引き出したい」と思ってやっていました。

ユーザー視点では、ものづくりのインスタみたいな立ち位置で楽しく使ってくれていましたね。名刺にCreattyのURLを加えてくれていたくらい、ユーザーには満足していただきましたが、ビジネスとして成立させるのは難しかったという背景がありました。
スマホ黎明期で、そもそもネット上でものを売り買いするみたいなのがまだ難しい時代だったのもあり、一回大転換をしようとを決意しました。

「死ぬほど必要としてくれる人がいるか」がめっちゃ大事

ーCreattyを作った際とママリを作った際で、アイディア着想という点で何か差はあったのでしょうか?

「死ぬほど必要としてくれる人がいるか」という点では明確に違いますね。
Creattyの時の課題に「死ぬほど必要としてくれる人がいない」というのがありました。ユーザーの中にはモノづくりで食っていこうと思っている人もいましたが、7-8割くらいは「趣味で作れれば良い」という人で。

僕たちはそのサービスを作るために週7日朝から晩まで働いているのに、ユーザーインタビューをして行く中で「趣味として、週末に良い感じにモノが作れればいいんです」という声を聞くことが多く、そこに熱量の差を感じてしまいました。それが、クローズしようという意思決定につながる最後の大きなひと押しでしたね。
基本的にスタートアップって創業者が折れたら終わりだと思っていて、Creattyはまさにそのパターンでした。

逆に、起業とかサービスづくりって「辞めなければ勝てる」と思っています。だから、出来るだけ辞める理由がないことをしないといけない。そういう意味で「誰かが死ぬほど必要としてくれている」という状態は「辞める理由」を減らしてくれるのかなと思っています。

アイディアの着想でいうと、「みんなが死ぬほど必要にするもの」という観点で健康領域を選びました。10-20年後もしかしたらFacebookは流行っていないかもしれないけど、「体調が悪くてスマホで検索する」という行動は絶対になくならないだろうと。
少なくとも数十年スパンで人は健康について悩み続けるだろうというのは明確に思っていたので、健康をテーマにしようと考えたのが、ママリの最初の一歩です。

振り返って言えるのですが、今のママリ事業は「どう見ても社会に良いことをしている」という感覚が強く、それがとても今ハッピーですね。社会性の高い事業をする満足度というのは実際かなり高いというのをここ6年くらいで感じています。社会に対して良いことをやっていると、いろんなことを考えるコストが減るんですね。「これってちょっとどうなんだろ」みたいなのを考えて事業を作っていると絶対パフォーマンスは落ちると思います。今のママリでは極端に言えば、エンジニアが書いたコードの一行も、この世のためになっていると信じています。

人から直接的に必要とされる感覚が強いということの満足度は、創業者だけでなく、従業員に対しても良い効果を及ぼすんだと感じています。

ママリへの転換は「ピボット」ではなく「トラベリング」

ーピボットをして次の事業がうまくいった理由はなんだったんでしょうか?

僕らの場合はピボットではなく事業転換だと定義しています。ピボットは「軸足がある」というのが前提ですが、僕らは軸足も何もなかったので、完全にトラベリング状態ですよね(笑)。
僕らの場合は完全にゼロベースで本当に必要なことを考えました。もちろん、それまで培ってきた「アプリを作る力」とか「人が必要とするものを作る気持ち」という起業のエッセンスみたいなところは残しました。何を残して何を残さないかをしっかり考えられて、残ったものを持って、勝てるところ・人が求めているところにいこうという風に割り切れたのがよかったです。

「ここまでやってきたんだからこの領域は変えずにちょっと事業を変えてみよう」みたいに、事業領域に対する変な固執の仕方をしているパターンのピボットが実は割とあるんじゃないかなと思います。「このジャンルじゃなきゃいけない」と言っていても、実際にそれを100%信じていて情熱を持ってやっている人ってそんなにいなくて。

そういう「中途半端に固執したピボット」というのがお金と時間を使いすぎるパターンだと思うので、残すものと捨てるものをちゃんとはっきりさせたら良いと思いますね。

事業転換からの資本政策とM&A

「エンジェルを引き込む」資本政策

ー資本政策はどのような感じで進めていったのでしょうか?

最初はMOVIDAで500万円を投資していただき、島田と2人で見よう見まねでやっていました。MOVIDAが終わった後はKDDI∞ Laboに採択していたき、資本関係は結ばずにオフィスを貸していただいていました。1年目は給料0でやっていて、2年目から月5万円だけもらっていたのですが、1年半くらいやっていたらサーバー代やオフィス代だけでもかなりなくなってしまって。そのタイミングで会社が経産省の支援事業に選ばれて1,000万円くらい助成金をいただいたのですが、2年半くらいやっているとやはりなくなってきてしまいました。そこで2件ほど受託を引き受けて1,000万円稼ぎました。
なのでエクイティで500万円、補助金で1,000万円、受託で1,000万円という形で2年半くらいやっていました。

預金残高があと一打席になった時点で次の事業をやろうとなり、MOVIDAのメンターでお世話になったアンリさん(ANRI代表 佐俣アンリ氏)に投資してもらうことにしました。アンリさんは僕と同じ慶應の志木高出身ということもあり、大湯と島田は優秀だし、事業を変えるなら投資するとオファーしていただきました。

また、アンリさんにエンジェルをインサイダーとして引き込むことを提案していただきました。当時、有安さん(コーチユナイテッド創業者 有安伸宏氏)には、投資関係にはならずに起業家の先輩として半年に一度くらい進捗報告をしていました。
しかし、もう少し巻き込めた方がお互いいいのではないかということで投資してもらったら?とアンリさんに提案していただきました。

要は、ラウンドを作るのではなく、ラウンドの間くらいのタイミングでバリュエーションを前ラウンドよりも上げすぎず、ちょい上げくらいで生株を譲渡させていただきました。良いバリュエーションで株を渡すことでコミットしていただこうという前提で。これまでファンドに立て続けに投資していただいており、この先のラウンドもファンドが続く想像をしており、起業家の株主がいなかったというのもあり、このような決断をしました。

そういった感じの資本政策を進めて、明確にグロースが見えていたので、次のラウンドでは比較的選択肢が多い中から、B dashさんとPrimalさんから調達することができました。

ママリの飛躍と社会性を考えて、M&Aへ

その辺りのラウンドから、次の資本政策としてM&AとIPOはどちらも考えていました。その時にはメディア事業とコミュニティ事業をやっていたのですが、メディアはちゃんと収益がでるイメージはあったのですが、コミュニティはまだ掘り方が必要だと思っていました。特にコミュニティ事業で蓄えたデータをどう活用するか、というところですね。

ママリのユーザー層の特徴として、「子供を産む」という大きなライフイベントに関わっているので、人としての消費動向が変わる瞬間のユーザーを持っていました。そのデータを、保険・家・車といった重めの消費にどう活かせるかというのが考えの焦点でした。

その中の一つに「自分たちのブランドで保険を作りたい」というのをずっと夢想していました。まさに最近ニュースで、中国でアリババ経済圏の保険が売れているとかありましたけど、ああいうのを狙っていきたかった。ただそういう事業を自分たちだけで開発するのはかなり重く、ノウハウのある企業と一緒にやる方が良いと感じていました。

仮に上場したとしても、メイン収益源のメディア事業で利益を積み増していってもそこまで時価総額がジャンプアップするわけではないイメージでした。上場後の飛躍ストーリーを作るためにはもう2-3個のジャンプを作らなければいけないと思って、その一つが自社ブランドの保険だったわけですが、そういうのはやはり自分たちだけではやりきれないだろうなと思いました。

また、ママリの特徴として「社会性の高い事業をしている」というのがあります。出産という大事なイベントに際してユーザーさんのデータを頂くので、それを使って広告のみでゴリゴリマネタイズするというのはあまりしたくなくて。

何十年規模で続く、社会の器になるようなサービスになった方がいいと思っています。だからママリの広告事業のみで利益を追求しまくるというよりも、複数事業で利益を出しながらも社会性を高めていき、大企業の株価を数%でもあげる方が与えられるインパクトはより大きいと思いました。
そういう意味で、社会性を価値として評価できるような、長期的な目線で存在している企業と一緒にやる方がママリというサービスの本来の力が引き出されるんじゃないか、と思ったんです。

「事業のさらなる飛躍」と「社会性」の二つを考慮するとM&Aが良さそうだと判断し、KDDIグループ入りすることにしました。

大湯氏のエンジェル投資論

次世代の文化を作るサービスに投資したい

ーエンジェル投資をする目的は何ですか?

第一義的には、完全に「好きだから」ですね。
当然投資をしている以上、リターンを返すという意識は起業家に持っていて欲しいと思って向かい合っています。が、私個人という観点でいえば結果は結果としてついてくるものかな、と割と腹をくくっている感じです。

最初にエンジェル投資を始めた頃は「知らないことを知りたい」みたいなモチベーションがありました。知らない業界に投資をして、自分が経験してきたことを活かして起業家の力になる代わりに、知らない業界のことを教えてもらおうと。
ただ、数社投資して気づいたのですが、そういう目的は合致しないんですよね。別にこちらから情報開示を高頻度で求めるわけでもないし、第一僕自身が起業家として数日おきに細かいことを聞かれるのが煩わしいというのをわかっているので、聞きません。だから、エンジェル投資を「一次情報を得るため」と捉えるのは少し違うと感じました。

そこからエンジェル投資第2フェーズに入るわけですが、そのモチベーションは自分が何か得るためにというよりも、僕が上の代からお世話になったことを今度は僕が下の世代に返していこう、みたいなペイフォワード的な考え方です。投資領域は完全に自分の好きなものを応援するというもので、自分が設定したテーマに合致する会社に投資しました。

今自分の中ではエンジェル投資第3フェーズなのかなと認識しているのですが、最近のテーマは「次世代の文化を作り得るようなサービス」です。
僕は「新しい文化は若い人から生まれてくる」ということを信じています。人って年をとっていくと自分自身のやることも増えて時間がなくなり、新しいものに対する感度が低くなる。そうするとやはり新しいものは若い世代から生まれてくると思うんです。
Facebook然り、Instagram然り、Snapchat然り。世界を揺るがす新しい文化は若い世代から生まれてきているなと。年下への投資が非常に多いし、自分自身そう心がけています。

頭ではわかるものの、体や心では分かり得ない領域の文化を生み出すチャンスのある起業家に積極的に投資したいですね。

「竹みたいにしなやかな人」求む

ー大湯さんはどういう人に投資したいと思いますか?

「選んだ領域への専門性や情熱」と「違う視点に対する受容性」のバランスですね。

まず、ビジネスをする戦場として選んだ市場において、そこへの創業者のこだわり、ユーザーのインサイトは見ています。一番その市場に詳しくて、自分だけが見えている真実が明確にあること。「今この市場ではこんなことが起きていてヤバイんです!」みたいな。

エンジェルとかシードの段階で、まだプロダクトができたばかりの頃に、紋切り型な「マーケットはXXで、競合はXXで、ビジネスモデルはXXで」みたいなピッチをよくされるのですが、そういうのはコアな部分ではないのかなと思っています。「2年後に売上50億円規模になります!」みたいなプレゼンの大半は、自分でも納得感がない状態で話しているんじゃないかなと思います。

なにせ、自分自身がそうでしたから(笑)。
だからそういうのじゃなくて、その人だけが見えてて、納得していることを教えてよ、という。電話相談をやっているのであればその録音を聞かせて欲しいし、ユーザーの切実な声があるのならそれを見せて欲しいですね。

一方で、それに固執しすぎない柔軟性も大事だと思っています。「こういう視点はないの?」というものに対して「いやそれは絶対ないです」みたいな。一回その視点を咀嚼した上での「違います」なのか、入り口で拒絶している「違います」なのかというスタンスの違いは大きいと思いますね。
違う視点への受容性は結構大事だと思っていて、竹みたいな感じです。背骨はあるんだけど、フレキシブルな人がいいと思います。

最初の段階ってピボット上等じゃないですか。Creattyをやってて事業転換した時も「絶対クリエイターのマーケットがくるんだ」みたいに固執していたら今のママリはないかもしれませんし、違いへの受容性を大事にしているのは僕たち自身の成功体験があったからというのもありますね。

あとは、野心的な起業家は応援したくなりますね。1,000億円企業の創業者を並べたら絶対、最初から1,000億に行くと宣言していた人の方が、宣言していない人よりも多いと思うんです。僕自身がそういうのを言えないタイプなのでコンプレックスというか、そういうのを真顔で言える人が心地いいんですよね。

とはいえ言うだけだと当然だめで、そこまでのプロセスをどう考えているかも一応大事です。その説明は粗くてもいいと思っていて、マーケットサイズから推定するもいいし、積み上がった利益から考えるのもよし、また競合から推定するのもいいと思っています。ただ、そういうロジックがなくても、宣言する大きさまで行かないとダサいと思っているんですみたいな、価値判断レベルで大きなことを考えている人も良いと思いますね。

「そばにいるような感覚」のエンジェル投資家を目指している

ー大湯さんは起業家へのコミットが評判ですが、何故なんでしょうか?

そうなんですか!?嬉しいです。ありがとうございます(笑)。
起業家へのコミットの深さはそうですね… これも好きだからかもしれません。
睡眠時間を削ってアニメを見るのが苦じゃないのと同じ理論です。ただ単純に好きだからという。

投資をしている以上責任を負っていると思っているし、良くも悪くもお節介なんだと思います。もちろんその会社の従業員のように働くことはできないので限界はありますが、出来るだけその会社の役に立つようには意識しています。

投資家としての距離の近さとか、そばにいてあげる感覚というのはかなり大事にしています。だからレスポンスの速さとかは平日・休日・日夜問わず意識していますし、「気軽にどうぞ」が僕のキーワードです。気軽に相談できる人。

この前、弊社のコーポレート部長がいいこと言っていたのですが、「僕は皆さんにとっての”ちょっと気の利いたことが言える壁”です」と。つまり、相談してくれたら話をとことん聞くし、時々気の利いた返しができますよ、という。僕は起業家にとっての気の利いたことが言える壁になりたいと思っています(笑)。

投資先の起業家と年齢が近いというのもありますし、連絡したら助けてくれそうと思える人がいるというのは起業家にとって大事というのは僕も感じているので、僕がそういう存在になれればと思います。

実際、スキル的なアドバイスって投資していなくても真っ当なサービスをしている人だったら扉をあけて教えてくれる人っていると思うんです。そういうフィジカルな強みよりも、精神的に頼りやすい状態の人が株主にいることが大事だと思っています。これは、僕が投資家として選んでもらう時も押し出すポジショニングですね。

僕自身、どのラウンドでも選ばれるような投資家ではないと思いますし、起業家もしっかり投資家を選んだ方がいいよ、という話はしています。

起業家が投資家を選ぶ上でのファクターは3つあると思っていて、

  1. 資金量(どれくらいの資金を投資できるか)
  2. スキルセット(どこに特筆性があるのか。どういう知見を得たいのか)
  3. アクセシビリティ(投資家としてどれくらい”使いやすい”か)

投資のフェーズごとにこの3つのファクターを考えて、どこを重要視するか考えたらいいと思っています。

その上で、「僕の場合は1はXX円くらいで、2は創業期〜拡大期のエンジニアリング以外は全般で知見提供できます、3は圧倒的にレスポンス早いです」みたいに説明して、お互いマッチすれば選んでもらう、という感じです。

もちろんメディアやコミュニティサービス、AI関連の投資先もあるので広く事業のアドバイスはしているのですが、シード期は起業家からみたアクセスしやすさが大事なのかなと実感しています。

生涯プレイヤーであり続けたい

ー長期的な展望を教えてください。

僕は基本的に「計画的偶発性(Planned Happenstance)」の人間ですので、今ベストなものを最大限頑張ろう、というスタンスです。
今は起業家として、起業家の近くで一緒に成長していきたいと思っています。長いスパンで見ても、起業家のそばにいたいという思いが強いです。ライフワークにしたいですね。

起業家であり続けたい、ずっとプレイヤーでありたいという思いも強いです。投資家として応援するというよりは、自分も常に何かを作り続けたいと思います。
さっきも言った通り、新しいもの・文化が生まれてくることへの強烈な憧れがあり、それが生まれるときにそばにいたい。そのためには、自分が若くい続けないと思っているんです。身体もそうですが、感覚としても若くいなければと。

そのために、ずっと最前線でやっていたいんです。仕事をしている人はボケないと言いますが、やはり走り続けていくことで若さが保たれていくと思っているので、何かしらの形でものを作り続けたいですね。


ー最後に、挑戦する起業家へ何かメッセージをお願いします。